自分流の観光
観光はとても面白いが、困ることだってある。
それは、帰って家族に「その城はだれが作ったのか」「いつの時代にできたのか」と聞かれたときに答えられないことだ。
不思議なことに、全然覚えていない。展示に一通り目を走らせても、頭が追いつかないのである。
しかし、そんなことが何度かあってから、僕は腹を括った。
「どうせ覚えらないんなら、最初から見ない」ことにしたのだ。
そんなわけで、僕は岡山城と後楽園の歴史を全く知らない。知りたければwikipediaでも見ればいいんだ。
代わりに何を覚えたのかというと、建物の造りだ。
僕は小説を書くのが好きで、特にモノの様子を文章で表現するのに興味がある。
その過程は、まさに発見の連続だ。自分の感覚に合う言葉を見つける度に、感覚が実感に変わっていく。
また、美しい説明文を覚えるのも好きだ。
強い野球チームに名捕手が必ずいるように、美しいモノには必ず名文がある。
ソシュールは「言葉があるからモノが存在できる」と言った。美しい言葉は、心に美しい風景を作る。
観光地に行くと、様々な情報がおせっかいなおばちゃんみたいに蔓延っている。
大事なのは、そんな情報に対して「結構です、お構いなく」と言う勇気だと思う。
本当に必要なものは、自分の中にあるのだから。