『カンガルー日和』の感想文
読んだきっかけ
この短編集は、即興小説トレーニングのお手本にするために買った。一作品が4000字くらいなので、バトル用にちょうどいい。
もちろん、作品自体も素晴らしいので、読書用でもある。 今回は、表題作の『カンガルー日和』を紹介したい。
あらすじ+要素
僕と彼女は、新聞でカンガルーの赤ちゃんの誕生を知り、一カ月間、カンガルーの赤ん坊を見物するに相応しい朝の到来を待ち続ける。
『この機会を逃すと二度とカンガルーの赤ちゃんを見られないような気がする』
不安を抱えて行くと、赤ちゃんはもう子供くらいの大きさになっていた。
子供の大きさくらいになっても、一人で生きるには弱いらしく、母親の袋に入る。
僕たちは、カンガルーの赤ちゃんが保護されているところを見て安心する。
失われた音符を探す枯れた作曲家のような雄、走り回るミステリアスな雌、親子。
4匹のカンガルーを見て、久しぶりに暑い一日になりそうだと思う。
カンガルー日和とはどういう日なのか
僕がこの作品を好きなのは『特別を演出する魔法が詰まっている』から。
「一ヶ月間、カンガルーの赤ん坊を見物するに相応しい朝の到来を待ち続けていた」
「朝起きてカーテンを開け、その日がカンガルー日和であることを一瞬の内に確認した」
『なんとなく行く気になれない』気持ちを、特別にしている。
僕は、この本のエッセンスは『○○日和の作り方』だと思う。
何かをするに相応しい日というのは通常、客観的に決められている。
しかし、この作品ではカンガルー日和がいつなのかを自分で決めている。
そうすることで、自分の気持ちが和らぎ、豊かになる。
『なぜこの日がカンガルー日和なのか』。本文を見てみよう。
僕と彼女は、新聞でカンガルーの赤ちゃんの誕生を知って以来、赤ちゃんを見るに相応しい日を待つ。
しかしそんな日はなかなかこない。
雨が降ったり、いやな風が吹いていたり、虫歯が痛んだり、区役所に行ったりする。
そしてある日、朝起きてカーテンを開け、その日がカンガルー日和であることを一瞬の内に確認する。
そこがこの作品のポイント。
なぜカンガルー日和なのかは、読者が考えなければならないのだ。
恋愛でも、相手を好きな理由を挙げると、その理由がなくなった途端に好きでなくなってしまうことがある。
本当に好きな時には、理由を言えないのだ。(突然の冬ソナ)
教科書での読まれ方と解説
本作は高校国語の教科書に載っている。課題にチャレンジし、教科書の狙いを探ってみよう。
「これから先、カンガルーの赤ちゃんを見るって自信ある?」
「どうしてカンガルーの赤ちゃんだけが問題になるのだろう」
「カンガルーの赤ちゃんだからよ」
と言う会話があるが、なぜカンガルーの赤ちゃんだからか?
そ、そこか。それは雑談の一部で、論理なんてないと思うけど……。
まあ、出題の意図を汲むと「彼女にとってカンガルーの赤ちゃんはどういう存在か」を答えるべきだろう。
彼女は、カンガルーの赤ちゃんが母親の袋の中に入ってないとこを見てがっかりし、袋の中に入ってるのを見ると「袋の中に入るのって素敵」「保護されてるのね」と言う。
「袋に入る」とはどういうことか?
1:「退行」
人間は不安になると、子供返りすることがある。
ガムやタバコは母乳の感覚を思い出そうとしてる(口唇欲求)、自分の体を触るのは母親に抱きしめられた時のことを思い出してるから。
彼女も何か不安を抱えていて、それを和らげるために保護されている赤ちゃんを見ている。
2:「疑似懐妊」
最後のシーンで、父親カンガルーは失われた音符を探し、母親じゃないほうのカンガルーは目いっぱい駆け回る。
「久しぶりに暑い一日になりそうだった」と僕は思う。
これは性行為の予兆なのではないか。
その後の「ビールでも飲まない?」は、実は誘い文句なのだ。
「失われた音符」とは何か
という比喩も問題になっているので、そちらにも触れる。
これはイマジネーションが欠けた状態を指す。
直観が働かないので、今日がカンガルー日和なのかどうかもわからない。
一方、母親じゃないほうの雌カンガルーは元気一杯なので、こっちは「今日は絶好の人間日和だ」と思ってるのかも
比喩というのは感情移入と同じ。
つまり、父親カンガルーを見て「才能の枯れた作曲家」と思うのは、自分自身の才能(直感力)が枯れているからだ。
彼女とどのタイミングで子供を作るための性行為をするのか、図りかねている。
しかし、今日が絶好のカンガルー日和だったと感じることで、直感を取り戻す。
カンガルー日和とは、すなわち『セックス日和』なのだ。
村上春樹は、どんな日にセックスをしたくなるのかを、カンガルーに例えているのだ。
教科書ガイドには「カンガルー見て子供の心を取り戻す」と書いてあるが、こういう読み方があってもいいと思う。
現象学でいうと、一部を見るだけで全体像が浮かび上がってくる感じ。
限りないものを一文に詰め込んだ村上春樹はやっぱりすごい。