常識とは何か(SPIについて)
就職対策授業のテストを受けてきた。一次選考で課されることのある、一般常識やSPIの対策だそうだ。
私は体調が悪かったので、いつも通り良い点をとった。もし体調が良かったら、試験中にゲームのことばかり考えていただろう。体調の悪さも時には役立つ。
私は、この手のテストを解いている時、疑問に思うことがある。この試験で問われているのは本当に一般常識なのだろうか?
常識とは、Wikipediaによると「社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力」である。
4文字熟語や古典文学などの知識は、使われる機会がないのに、有していて当たり前なのだろうか(その一方、私は人に使われる機会が多いが、常識がないと言われる)。
そもそも、有していて当たり前の知識を問うているなら、全員が合格するはずである。もし全員が不合格になったとしたら、受験生の知識ではなく、テストの方に問題があると考えるべきだろう。
古典文学の知識は必要なのか? 作品名と作者と冒頭の一文だけを覚えて、一体何の意味があるのか。出題者はそのことを考えるべきである。
我々は一応、作品名と作者と冒頭部を知っていれば、その作品を知っていると判断している。人間についても「ああ、人事課の山田さんね」と言えば、その人物を知っていることになる。たとえ、その人物の趣味も家族構成も知らなかったとしてもだ。
だが、知っていることに意味があるのかと、私は声を大にして言いたい(授業担当の先生には、平常点が下がるので言いたくない)。
例えば、私はニュースを見ないため、オリンピック選手の名前を知らない。だが、それを知ると、私の周りの人間は鬼の首を取ったように私を馬鹿にする。知っていることがそんなに重要なのだろうか。
そのくせ、彼らはアルゴリズム等のテストができなかった場合「難しかったからしょうがない」と言って弁解するのだ。実に奇妙である。彼らは知るべき知識とそうでない知識をどうやって区別しているのだろう?
私は、以上の疑問を解決するため「常識とは、常識があることを誇示するための知識である」という理論を打ち立てた。「知っていることに意味がある」と言われるものが常識なのだ。
また、いざという時に備えて「常識を疑うのが常識」「細かくツッコまないのが常識」という常識も付け加えておいた。
もっと書きたいことがあるが、ここらへんで打ち切ろう。さっきから親が「夜は寝るのが常識だ」と言っているのだ。