文体を真似る練習
ソクラテスの口説き方 (2003/11/08) 土屋 賢二 商品詳細を見る |
p108の「慰め方のいろいろ①」のパロディを書きます。
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わたしはお祈りメールを貰うことにかけては人後に落ちないが、先日、お祈りの効果がないことが証明された。
ある情報専門学校のオープンキャンパスに参加して以降、情報とは無縁の生活を送ろうと思っている。
専門学校と聞いた時点で断るべきだった。大学にすらロクに馴染めないのだ。
まして同級生になるのは年下の女子高生だ。
異質なものを見分ける資質がピークに達しているため、私の異常さはすぐに見抜かれてしまうだろう。
さらに、一緒に勉強する期間は2年と短く、私の正常な部分をアピールするのは不可能だろう。
幼なじみでさえ、私の正常な部分がわからないほどだ。
どう考えても断るべきだったが、ひきこもり生活に区切りをつけたかったというか、区切りをつけられたというか、記録をつくれなかったというか、一瞬「いつまでも人との会話を怖がってちゃいけない」という気になってしまった。
すっかり忘れていたが、エロゲキャラとの会話もうまくいかないのだ。
考えてみれば、会話が出来る相手は人以外にも存在しなかった。
それなのにどうして人との会話が成立すると思ったのだろうか。
会場に行ってみると、まず学校についての説明を受ける。
それは授業内容と関係ないだろうと思ったが、学校側は「授業風景を見せたら誰も入学しなくなる」と考えているのかもしれない。
確かに、高校と同じような授業をするとわかったら、誰も入学しないだろう。
だが、高校と同じような中年男が教師をしている時点で、授業内容は察しがつくはずだ。
説明の間、憂鬱な気分が続いた。
説明は退屈だし、大学の講義のようにTwitterをやることもできなかった。
そのとき、「そこの前の席の人」と教師が言った。
どうやら私が当てられたらしい。
「人」だと言っていたので、まさか私だとは思わなかった。
突然だったので、上手く答えられず、醜態をさらしてしまった。
(準備をしていても答えられなかっただろうが)
だがそれでも生きていかなくてはならない。
私は思い直した。
私はコミュニケーションの専門家ではない。
上手くいかなくて当然だ。
せいぜい「こいつは空気が読めない」と思われるのと、コミュニケーション技術について大きな事をブログに書けなくなるだけだ。
それに、わたしは教師のプライドを傷つけるような指摘はしたくない。
無理にこう言い聞かせたが、気持ちは一向に晴れなかった。
追い討ちをかけるように、案内役の人が「次は授業を体験してもらいます」と言う。
一難去ってまた一難だ。
私がどんなふうに授業を受けているか知られたら、間違いなく軽蔑される。
一生懸命ノートをとっているのに理解してないところを、誰が見せたいと思うだろうか。
できればテスト前に私のノートを借りようとする連中にも、見せたくないほどだ。
理解してない授業をいかに理解したか見せるのは、私には無理だ。
暗い気持ちで授業を受けた。
努力はしたつもりだった。
出かける前に百ます計算で脳を活性化したし、教師以上に理解していることを見せつけるため、全く関係のない計算式をノートの隅に書いた。
これでも努力が足りなかったのだろうか。
今度は「専門外だから」と自分に言い聞かせるわけにはいかない。
このときほど、自分の本業がマスコミか国会議員であって欲しいと思ったことはなかった。