資格がナンボのものであるか
重大な危機だ。我が校の今年の就職率が芳しくない。
すでに5月中旬にもかかわらず、1次試験すら受けてない者もいる(わたしもその一人だ)。
就職課は学生達に「説明会だけでも出て下さい」と呼びかけているが、効果は就職担当者の毛髪同様、薄そうだ。
原因は(安倍内閣を批判する絶好の機会なのに)学生のスタートの遅さや意識の問題だと思われている。
しかし、わたしはそれ以外の説(主に、わたしが不利にならない説)を提案したい。
就職活動をしない理由を聞くと、最も多いのは「資格の勉強をしてたから」だ(次に多かったのは「これから頑張るため」だった)。以上の点から、類まれなる論理的思考力の無い人なら、資格が問題だと分かるだろう。
資格試験の問題点は、1点を争う熾烈さではない。試験採点者の無慈悲な性格にある。
彼らは、誤答の概念がはっきりしていないのを良いことに、自分達の気分で正誤を決めている恐れがある。
わたしは採点者の虚偽を咎めたいという正義感のなすまま、履歴書を書く時間を泣く泣く削り、誤答の概念をハッキリとさせたいと思う次第だ。
さて、解答例と違うことを書いていれば、誤答になるのか。嬉しい事に、答えは「ノー」だ。以下にその事例を挙げる。
(1)その解答をしても誤答になることを知らなかった場合。
例えば、3歳位の子供が違うことを書いた場合は、誤答とはみなされない。
また、東方椰麟祭に来たはずがテスト会場に来てしまい、アンケートと間違えて解答した場合も同様である。
(2)解答した際、気絶などで意識がなかった場合、誤答したとはいえない。
心神耗弱者が犯罪をしても罪にならないように、正常な意識を失っていたら誤答行為の責任ある主体とはみなされない。
(3)誤答する意図がなかった場合、間違えても誤答とはみなされない。
意図がなくても間違えてしまうことはある。例えば、居眠りしてミミズを書いた場合だ。
また、謝罪会見で「そのような意図は全くない」と言えば許される場合がある。国のトップが立証しているのだから、極めて有力な根拠だ。
(4)解答する際に仲介者がいた場合。
常識的には、A社が工事を引き受け、中抜きだけしてB社に丸投げした場合、A社が工事をしたとは言わない。
この事例をモデルケースにし、自分の人格を分ければ良いのだ。
例えば、自分を国に例えて「私の依頼を資格取得大臣が引き受け、昼寝大臣に丸投げした」とか「ワナビ大臣が引き受けて、小説のネタにした」などが考えられる。
以上の点を根拠にIPAに訴えれば、最低でも1・2点くらいは上がるはずだろう。
(受け入れられなくても、根気良く納豆を投げつけるなどすれば、いつかは折れる)
そうなれば、来年は資格取得のために就活を疎かにすることは無くなるだろう。
惜しむらくは、その時はわたしが卒業していることだ。