自分探しにおける物語の役割
村上春樹講座にて。ノルウェイの森のテーマは「心と体の不一致」だそうだ。
この小説には、心では愛しているけど体が反応せずに苦しみ、自殺する女性が描かれている。
そこから想起したことを書きます。
★自分の物語と社会の物語の不一致
大抵の悩みは何かと何かの不一致だ。
雪がせつないのも、心ではいつまでも生きていたいのに体が消えてしまうからだろう。
現代において最も深刻な不一致は「自分の物語と社会の物語の不一致」だ。
例えば、他人のせいで自分が不幸になったという物語は、社会には否定される。
※注)
物語とは「自分はこういう経験をしたからこういう人間になった」というフィクションのこと。
「まっさらだった自分が、ある経験によって作り変えられた」と信じることだ。
★自分の物語と社会の物語を一致させる方法
『1』一致する社会を作り出す
ひきこもり 又は 自分探し。
この行為の本質は、自己像を承認する社会を求めることだ。
だから、知り合いがいない所へ行き、理想的な自己像ばかりを見せ、それを承認してもらおうとする。
『2』自分の物語を社会に合わせる
就活でやる自己分析。
しかし、自分の物語をうまく合わせられない人はたくさんいる
『3』合わせる必要なんてない
合わせなくていいと思ってると、どんどんそういう人や情報が集まってくる。
結果的に、自分と一致する社会ができあがる。
★自分のケースで考える
僕自身は、引っ込み思案な性格を親のせいにしている。
親はいつも僕に怒鳴ってばかりだった。
僕が話をしようとすると、僕の言ってることが正しいのか一字一句確かめようとするかのような無邪気な目を向けてきた。
僕は次第に、自分の本当の気持ちを隠すようになってしまった。
そういう物語を他人に理解してもらうのは結構しんどいだろう。
僕と全く同じ境遇の人に会っても難しいに違いない。
おそらくそこでは、「どちらの傷がより深刻か」という、傷の測り合いがある。
傷の深さは「自分の無垢性」と「他者の邪悪性」によって測られる。
自分の無垢性は、幼い時に受けた傷や、自分に過失がない事故・災害の場合に保証される。
しかし、人間は「無垢な人間が不幸になる」という事実には耐えられないので「本人に問題があったのでは?」と考えてしまうジレンマもある。
社会に受け入れられる物語の数は徐々に増えている。
同性愛の告白も「そういう人生もあるんだな」程度で認識してもらえる割合が高くなった。
しかし、そうして物語が増えても、ひとつ問題が残される。
★本当にそれは「自分の」物語なのか
僕は、性格を親のせいにしてる。
それはあくまでも、そういう本(エニアグラム)を読んだからだ。
読むまでは、自分に能力がないせいだと思っていた。
当時流行っていた動物占いとか六星占術に感動していたら、僕はそっちを自分の物語にしていた。
自分で選んだものが間違っていることはあり得る。
「自分の物語と社会の物語が一致しない現代を生きる姿」を、新しい物語で捉え直した小説を書いたら、何か面白いものになりそうな気がする。