自己分析は必要か
就活は自己分析から始まると言われている(言わされているのかもしれない)。
自己分析をするのは「自分のどのような資質や能力が人から認められているか」を知るためである。
また、「自分はどんな人間か」「何をしたいか」を知るためだと言う人もいる。
だが、本当に自己分析は必要なのだろうか。
「自己分析をすればするほどわからなくなった」という人もいる。
「箱の中にいる猫が生きているか死んでいるかわからなくなった」という学者もいる。
これらからわかるのは「学者にならないほうがよい」ということだけだ。
自己分析は、やればやるほどディスクシステムである。
私もかつて、自己分析をしたことがあった。
だが、自分の長所を探しても「冷静」しか見つからず、パニックに陥った。
探せば探すほどわからなくなり、収穫は0だった。
探し物が得意という長所がなくなったから、マイナスといっても良い。
自分がどんな人間かがわからないのなら、何をしたいのかを考えるしかない。
「何をしたいか」とは「どう役に立ちたいか」と同義である。
だが「人に迷惑をかけないために引きこもる」
「他人の発言の機会を奪わないために黙る」
「RTやfavを多用する」
といったことは評価されない。
以上のことから、役立ち方はマニュアル化されていることがわかる。
経営コンサルタントの佐藤芳直さんは
「”役立つ生き方”を教えずに
”役立ち方”を均一化すると
おかしな方向に進む」
と言っている(正しくは「書いている」かもしれない)。
役立つ生き方とは何か。
よくわからないが、こんな文章を書いても誰の役にも立たないことはわかる。
私の長所は、自分の欠点がわかることだ。